集団現代とは、一つのテーマに沿って複数人が独自の観点でテキストを書き連ねていく、精神ブレーキ主宰の集団型テキストサイトです。

  
ランダム
精神ブレーキの主宰者的な、風な、っぽい奴。っちゅかまぁ、主宰者。何故こんなに回りくどいのかと言うと、主宰者がするべきような統率をあまりしていないから。形だけ。
01

 はじめてあこがれを感じたのは空手をやっていた小学生の頃であり、その頃はとにかく強い男、特に塚本 徳臣(ツカモトノリチカ)にあこがれた。 塚本 徳臣は世界大会で最年少で優勝する男であり。大会の決勝戦で飛び後ろ回し蹴りという豪快極まりない技で相手を一撃で倒し勝利するという、小学生の頃の僕にとってはあこがれない事の方が不自然と思わせる男であった。僕はまずそんな 塚本 徳臣にあこがれた。 塚本 徳臣と同じ新極真に通っていた僕は合宿に行った時に 塚本 徳臣を見る事が出来た。凄まじかった、子供達が板割り(厚さ5〜6センチの木の板を突きや蹴りで割る事。)をしている時にデモンストレーション的に 塚本 徳臣が板割りをしてくれたのだがこれまた豪快に4〜5枚の板を助走からの飛び蹴りで粉砕したのだ。カッコ良かった。僕はどうにか 塚本 徳臣にアピールしたくて、皆が 1枚の板を割っている時に指導員の人に「2枚で。」と言った。倍の厚さになった板に僕は右回し蹴りを打った。バキィッ!という音とともに足に衝撃が走った。見ると1枚は割れていたがもう一枚が少しつながっていた。足がとても痛い。板を持ってくれていた指導員が「よし、もう一回だ!」と言った。そいつを蹴りたかった。しかし、これを割らないと 塚本 徳臣にアピール出来ないと思っていた僕は「押忍」と一声発し、構えなおし、再び右回し蹴りを打った。割る事が出来た。一撃とまではいかなかったが、小学生である僕が2枚の板を割ることが出来たのだ。やった!やったよ!これで 塚本 徳臣にアピールできた!と思っていると「ワァァー」というざわめき。本当にアピール出来た!と喜び勇んでいるも、どうも違和感。僕に対してのざわめき、歓声ではないように思えたのだ。そして回りを見回すと、その歓声は右の、髪型が坊主でその頭頂部に残った毛が星の形になっているという完全にそいつの母親は学生の頃はだいぶ偏差値が低かったと思わざるを得ないような奴に対して向けられたものであった。ちなみにそいつの黄色帯に書いてある名は「星」であった。そいつの母親は 30手前でいまだにリアルヤンママであると確信した。何故そんなヤンママにされるがままの息子に歓声が沸いたかと言うとそいつも板を2枚にしてもらっていて、かつ、そいつは頭突きで割ると言ったのである。なんてこった、と思った、そんな奇抜な格好で、そんな奇抜な割り方をするだなんて、と思った。僕の場合皆が1枚の板を正拳付きで割っているところで2枚の板を回し蹴りで割ったのだ。足の力は手の3倍と言われる。そりゃ割れるに決まってる。しかし、奴は、星は。頭で割ろうとしているのだ。どう考えたって星の勝ちである。そして凄い事に星は本当に頭突きで2枚の板を割ったのである。おちゃらけるところはおちゃらけて。決める時には決める。ある種今の僕が目指しているスタンスはあの頃の星に影響を受けているのかもしれない。んなわけがない。





はにわ
ブログ「青空の魔人」にて、ネットラジオ「夕焼けローランドゴリラ」配信中。
02

あこがれっていっても色々あります。
美へのあこがれ(サッチー)、芸へのあこがれ(サッチー)、大統領(プーチン)。
最後のはやや関係はないですが、まぁ、あこがれっていうのは人それぞれってなもんなのです。
僕のあこがれはといいますと、はい!来ました、「おっさん」になることです。
まぁ、普通のおっさんだったら、今の状態で九割九分九厘達成しているんですが、普通じゃ、あこがれになりません。
僕はあこがれているのは、「金管楽器が似合うおっさん」なのです。
何を隠そう、僕は少しばかり楽器をやっていたもので、いつかは復帰したいなぁと思っているわけで、今年の北海道は暖冬の影響で少し暖かかったけれど僕の心は例年通りだったわけで。
まぁ、内田有紀の元旦那はほっといて、「金管楽器が似合うおっさん」の話なのですが。僕の脳内では、ほぼイメージが決まっています。イメージ的にはお腹がちょっと出ーの、普段は普通のおっさんをしてーの、楽器を持たせたらすごいーの、なわけなんです。
ジャズバー的なところに行ってパパラッパラパラッパーなんて吹き鳴らすわけなんですよ!昼間のパパとはちょっと違うわけなんですよ!奥様はアジャなんですよ!
ラストは悪夢だとして、ただ今達成できてるのは、九割九分九厘おっさんなことだけなので、お金でも貯めて楽器を買ったりしたりすることから始めたいと思います。
楽器は百万はするわけなんですが。高い!

目指せ、谷啓的ジャズバーへの道





ゆうじん
集団現代の数々の文章に触発され、その手を動かした!
03

あこがれって言えば、なれそうでなれないものってイメージがあるなぁ。
これでも法学部出身なんで裁判官にあこがれていた時期がありましたよ。

(トントン)
「それでは検察の求刑通り、被告人を死刑に処する」
のくだりなんて生唾もんです。
水戸黄門の印籠、映画版ドラゴンボールでは元気玉、AVでいう抜きどころに並ぶ重要な場面です。
あこがれないわけないでしょ!あの木槌打てるの裁判所かハンマープライスくらいなんだから!
あ、あれがあるか。丑の刻参り。でも、そんなもんあこがれないじゃん!失敗して指に木槌打っちゃうのが目に見えてるもん!
まぁ、とにかく裁判官というものにあこがれていましたね。
名を名乗れる正義の味方というのも魅力ですね。無理してかっこつけなくていいんだから。
堂々と裁いてやったと言える爽快感。そして待ちに待った給料日。
何も損することがない。得、得、得のお買い得!

(トントン)
「それではお父さんの要求通り、今夜はすき焼きにする」
なんてプレーもできる!これ、裁判官以外がやったら奥さんにビンタされますからね。
イメクラではこんなオプションつけられませんからね。
その前にイメクラ通いする裁判官なんてあこがれの対象になりませんけど。
だって、裁判官がMだったらどうするんですか?
これはショックですよ。「ほんとは裁かれたいのに」とか思いながらトントンしてるんですよ。
そりゃ、さすがのうちも引きますよ。裁判官ってのはSじゃないとダメなんですから。
時には「今日は機嫌が悪いからもう全員死刑!」とか言うくらいの破天荒さがないと。
だって、Sって裁判官のSなんだから。
それ故になれそうでなれないものをあこがれと初めに断ったわけです