集団現代とは、一つのテーマに沿って複数人が独自の観点でテキストを書き連ねていく、精神ブレーキ主宰の集団型テキストサイトです。

  
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精神ブレーキの主宰者的な、風な、っぽい奴。っちゅかまぁ、主宰者。何故こんなに回りくどいのかと言うと、主宰者がするべきような統率をあまりしていないから。形だけ。

 そりゃあなた、私だって人間だから、嫉妬ぐらいしますよ。他人に対する嫉み、妬み、そりゃある。そんな聖人君子、キリスト、ブッダ、劉備玄徳、マハトマ・ガンディー、小・中学校の頃の同級生のハッシーじゃあるまいし。あ、もの凄く良い奴なんですよ。ハッシーは。私は彼が怒っている姿を見た事がない。それに、私が転んで手首を怪我した時にも彼は、ハッシーは、優しい事この上ない態度で処置をしてくれたのです。もし私が女の子だったらその流れに乗じて告白してた。過去の友人の中で今一番会いたい相手ですよ、ハッシー。会っても話すことないけど。でもそんな話すことない状況って事を知ってもハッシーは笑顔で対応してくれるんだろうなぁ。
 誰がそんな話をしろといったんじゃ、てめぇはゲイか。バイか。バカか。まぁ、確かにハッシーなら他人に対して嫉妬はしないだろう。しかし、私は嫉妬心が強い。ちなみにここでいう嫉妬とは「あぁー、なんで、もこみちみたいなもんがモテて俺がモテんのじゃ!アホか!もこが!」という生まれ持った物や才能に対するものではなく。例えて言うならば、一緒に友人と往来していて、その友人の友人にバタリと出会ったとする。そうした場合、私からしてみれば友人の友人は他人であり、友人からしてみればそれは友人なので、偶然出会ったという事もあいまって、友人と他人は盛り上がり、「なにー、最近どうしてんのー、へぇーそんなことがあったんだー、あ、そういやさー、こないださー須田ちゃんがさ…」なんてなわけのわからん会話を繰り広げる。その間私は大都会に1人孤独を感じているわけである。
 え、それ嫉妬とはちょっと違わない?違わないのだ。私がこの状況のどこに嫉妬を感じているかというと、これは非常におかしな考えだと自分でも思うのだが、友人とその他人のやり取りを見ていると、この友人は私がいなくても楽しいひと時を送れているのか、という事に気が付いて嫉妬するのだ。あぁ、そうかぁ、まぁ、うん、そうだよなぁ。とは一応納得する、というか自分もその友人だけとずっと一緒にいるかというとそんなことはないのだからこれは至極当たり前の事だとは頭では理解しているのだが、どこか寂しい。嫉妬というか、自意識過剰というか、とにかく屈折した考えである。異常な独占欲である。
 ちなみに先ほど上で言った才能や生まれつきのものに対する嫉妬もまぁ、なくはないがそれほど露骨ではない。誰々みたいな顔になりたいとは思わない、が、時々、目や鼻や口やにきびなど全てのものが削ぎ落とされ首の上にゆでたまごが乗っているみたいになったりしねぇのかなぁ、とは思う。これはまた嫉妬とは別。空想。
 なんちゅってゆでたまごの事を空想してたらふと飯を喰いたいと思ったので思う存分に飯を喰らい思う存分に牛乳を飲んだら腹をくだした。急いでトイレに駆け込んだ私は呪詛の言葉のごとくに「SHIT!嫉妬!SHIT!嫉妬!SHIT!」と呟き。「なんだこのダジャレは、場が白ける、こんなネタはもう水に流してくれ!」と言いつつコックを捻った。ジャァーと言う音を聞きながら笑いの才能のある人間に嫉妬。





鈴木
フリーランスライター、雑誌やWEBの記事提供等で目下活動中。ブログ「薄の穂」も更新中。

最後の一口に対する執着心といったら無い。私は割りと、なんでもホイホイ人にあげてしまうし、食べ物も「たべる?」ってテンションで人にあげてしまうのですが、最後の一口は別物です。
100が50になるのも、50が10になるもの大差ないと思いますが、1が0になるとは話が別。0の概念を発見したインド人は偉いのです。
大皿料理でも最後の一口、最後の一切れは、手をつけないくせにその行く末を凝視してしまいます。最期の一口を何の躊躇も無く食べきるあなたに嫉妬心です。メラメラ燃やします。
うちのおばあちゃんは「遠慮の塊」といって、皿に残ったその一口を何とか人に食べさせようとしますが、そういわれては手が出せないもの、最後の一口に執着を燃やすのは、祖母の影響かもしれません。
私は同棲してかれこれ5年になりますが、その点での喧嘩は絶えませんでした。3個パックのコーヒーゼリーを買ってきて、別に食べられたっていいのです、食べてもらっていいんです。大体買ってきたこととか忘れてますから。でも最後の1個は別なんです。最後の1個をなんの話も無く食べられた日にゃーもう喧嘩ですよ。賞味期限との争いです。女の私は、食べ物がそこにあることで安心するんです。冷蔵庫にコーヒーゼリーがある、それをいつ食べようと考えることが楽しみなんです。食べることに重きはありません、冷蔵庫にコーヒーゼリーがあるってことが重要で、それがいつでも食べられる状況にあるってことが大事なんです。賞味期限とか全然眼中に無いんです、そんなことどうだっていいんです。でも相手は男で、そんなことより賞味期限が重要、冷蔵庫にあるものは食べてしまわないと、という強い意識があって、賞味期限ギリギリまでは、私の最後のいっこ論争に付き合うもの、ぎりぎりになると食べてしまうのです。
そんな私も体力の衰え、知力の衰えとともにそんな執着心見る影もなくなってきてしまいました。母親を見ていると、中年になればまた戻ってくるのかとは思いますが、こんな自堕落な生活を続けている限り、そんなことも無いのでしょう。食べ物に対する嫉妬心が亡くなるのがよいことなのか、そうではないのか…。私にはまだ判断が付きません。貧乏人の証拠といってしまえばそれまでですが、最後のいっこって大事ですよ、貧乏なおばさんが目の前にいたら譲ってあげましょうね。





ゆうじん
集団現代の数々の文章に触発され、その手を動かした!

 最近、巷で話題の『嫉妬カフェ』という新事業を知っているだろうか。嫉妬し、されることがサービスとして成り立つ時代がついにきてしまったのだ。これは、日常では嫉妬と無関係な人々(例:モテない男、童貞、ふかわりょう)に様々なシチュエーションで嫉妬を体験してもらうことで対価を得る事業である。具体的なサービス内容は、『嫉妬カフェ』に訪れた客が注文する際に店員との談笑が始まると、他の客を接客中の店員が嫉妬し、その人の下へやってきて会話を横取りするというものだ。
  それだけではない。『嫉妬カフェ』の最大の見せ場はここからだ。接客中だった店員を横取りされた先客が黙って居るはずがない。すかさず席を立ち、先ほどまで居た店員を連れ戻そうとする。だが、そう簡単に連れ戻せるはずがない。人間の嫉妬というものは京料理のようにあっさりはしていないのだ。むしろ、下町にある老舗洋食屋の毎日継ぎ足し継ぎ足し作りあげたデミグラスソースのように濃厚でドロドロしている。客同士が店員を巡り嫉妬心をぶつけ合う傍らで店員同士も嫉妬心のぶつけ合い。まさに嫉妬の雨、降水確率100%、嫉妬注意報の発令だ。この光景が『嫉妬カフェ』の店内でなければ、狂気の沙汰としか考えられない。だからこそ思う存分嫉妬できる。この非日常を客は求めているのだ。
  しかし、そんな客たちも非日常の空間から抜け出そうとする時がやってくる。きっかけはもちろん嫉妬だ。窓から見える日常の世界にいる人々に嫉妬し、『嫉妬カフェ』から出て行くのだ。そして、また日常に慣れてきた頃にふらふらと戻ってくる。嫉妬という名の生命力溢れるエネルギーを求めに。

 ちなみに今回、集団現代に寄稿したのはまさにこの嫉妬のためである。各人のテキストに嫉妬してしまったのだ。だが、嫉妬というエネルギーが生み出したテキストも案外悪くない。






はにわ
ブログ「青空の魔人」にて、ネットラジオ「夕焼けローランドゴリラ」配信中。

 「僕は好きなあの子のマフラーに嫉妬しますねぇ・・・」なんて始まり方ができれば、この文章も円滑に進むでしょうが、僕は何ーフランキーでもなんでもないので、好きなあの子のマフラー以外に嫉妬していきたいと思います。

簡潔に申しますと、僕は嫉妬魔でして、画数が多いから妖怪みたいに見えますけども。
嫉妬というよりかは、単なる負けず嫌い、悔しがり、という節もあるのですが、まぁ、とにかくそんな感じなんです。
例えば、学校での体力テストなんかでそういうことが起こったりします。
体力テストでなんか昼ドラみたいな嫉妬の渦は巻き起こらないだろう、と予測している人はまだまだ七級です。
僕は、アルベルト・フジモリより運動神経がいいと自負しているので、体力テストはもう、見せ所なわけです。
瞬発力か、持久力かで言えば、瞬発寄りなので50m走や、立ち幅跳びがもうそれはそれは、アルベルト・フジモリなんか比じゃないくらいに走ったり飛んだりするわけなんですよ。
で、大体50m走は6秒8、立ち幅跳びは250cmという結構な高記録を収めたりしているわけです。
そうなったら、もう鼻高々なわけですが、友達にさっきの記録を言ってみると
「ん、俺6秒7の255cmだよ」とかなんとかいうわけです。
もうキーッ!ですよキーッ!もちろんハンカチ王子を咥えては引きちぎり咥えては引きちぎりですよ。
で、もう一回立ち幅跳びに挑戦したりするのですが、己の限界ここに来たり、で250cmを超えられないわけなのです。
その場はもう6秒7の255cmが歓声を掻っ攫うので、嫉妬嫉妬ですよね。
完璧に牡丹と僕状態ですよ。
と、まぁ、まとめますと、些細なことでも嫉妬してしまうということなわけです。
誰か僕に嫉妬の特効薬か、ハンカチを。





越谷啓
「春」という名前でテキストサイト「ハッピー・ジャック」にて執筆中。突飛な発想で文章を書き上げる。

そもそも嫉妬ってのはなんなんだろうか?ヤキモチとは違うのだろうか?
ヤキモチ・・・なんだかちょっと可愛いような気がする、女の子に上目使いで「ヤキモチやいちゃった」
なんて言われたら、そのまま本当に餅が焼けるぐらい熱い抱擁とキスと性行為をしてやりたい気持ちになる
しかし「ヤキモチやいちゃった」なんてフルで言う人ってのはそうはいないだろう
普通なら「やいちゃった」なんてヤキモチを略したりする
「ヤキモチやいちゃった」なんてフルでいうちょっと堅そうな女は願い下げである
やっぱし「やいちゃった」が良い、「やいちゃった」なんてブラジャーを除かせながら言われたら
その場でそのブラジャーも焼けるぐらい高速で体を擦り付けてやりたくなる
だが、ブラジャーを見せながらヤキモチをやく女なんていない
そんな淫乱な女は願い下げである、一番良いシチュエーションは急にギュッとしてきて
小さい声で「やいちゃった・・・」という、これ
その場で振り返って抱きしめて尾崎豊でI LOVE YOUを熱唱してやっても良い

ここまで書いたが肝心の「嫉妬」これについてはシチュエーションを書いていないじゃないか
「嫉妬」なんだか怖いイメージがあるが、これを「やいちゃった」の時の最高のシチュエーションで
考えてみると、これもなかなかいけるのじゃないだろうか?
彼氏が女友達の話をジョノカの前で話すのである「あいつなんでモテねーんだろう?」とか
「あいつ締まり良いんだよ」とかそういう軽い何気ない話で良い
それに対してムスッとするジョノカ、ムスカではない、ジョノカである
「あれ?どうしたん?」とジョノカに向かって質問をする彼氏
「別にっ」顔をそむけながらも、あきらかに怒っているジョノカ
「おい、なんで怒ってんだよ?」
「別に何もない!」
「なんだよ!何もないだったらわかんねーよ!」
「もういい!楽しくない!もう帰る!」
「なんだよそれ!いきなり帰るってさ!自分勝手なのも勝手にしろよ!」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!もう帰るの!」
そして、家路につくジョノカ、それを追いかけて駅前で行った彼氏
駅前で「俺、お前が大事だからさ、だから・・ちゃんと理由を聞きたいんだ」
腐乱臭級のクサイセリフで攻める彼氏、その言葉にコロッときた彼女が、振り返って
彼氏に抱きつく、そして一言「嫉妬しちゃった・・・」

不細工だ

 

そこまでして「嫉妬しちゃった」はない、滝川クリステルが真正面からニュースを読むぐらいない
なんだったら抱きついたときに彼氏にさばおりを決めてそうな勢い
これが最後「やいちゃった」とかなら
もうそのまま駅のコンビニ、ハートインで、バックインしちゃってもなんらおかしくないと思う
そんな雰囲気を瞬時で壊す「嫉妬」という言葉、文字、この「嫉妬」という言葉は非常に不快である
「デリケートエリアの痒み」という言葉を聞いた後で執拗に「デリケートエリアってどこ?」と聞く男子ぐらい不快である





分身マスター
破天荒で型にはまらない人間。 常人では思いつかない奇想天外な事をしでかす!

ウオー!殺す!殺す!殺す!
俺より年下で才能ある奴は殺す!
同年代でも才能ある奴は殺す!
嫉妬だろうと何だろうと殺す!
恨みは無いが仕方ないんだよ!僕が生きてく上で君は目障りなんだ。
とんでもない中学生ウゼー!
天才小学生ウゼー!
中学生は家でゲームでもしてろ!
小学生は鼻くそ食ってろ!
この集団現代に001という中学生が投稿してるって。投稿してるってって。
お前の面白さ何!?(何!?)何!?(何!?)
骨も残らず死んでくれ!
夜道の背後に気をつけな!
ホームで背後に気をつけな!
明日のカレーに気をつけな!
俺の赤い手がお前の首にかかってるから!
今絞め殺すから!絞め殺したったるから!
死にたくなけりゃせめて表に立つな!
俺の視界から消えてくれ!俺の耳にお前の名前入ってくるな!
アー!やめろやめろ!お前の名前は聞き飽きた!
そうやってあれだろ?「あらあの子あの歳であんなことしてるのねすごいわぁ。」とか言われて年上軍はたいしたことねーって優越感だろ!?だからガキはキライなんだよ!お前より全然大人だから俺。そんなこと全然気にしてねぇから。全然見下されてるとか思ってねぇから。俺、大人だから。大人だから、俺。
俺は大器晩成型だからお前らのことなんて知ったこっちゃねー!いずれ天下とったるもんねー!バーカバーカ!
でもやっぱ人間って限界ってのがあるんだよ。
「あ、無理かな。」って思ったらそれ無理なんだ。
あーあ。空が毎日青けりゃ良いのに!

 

お前ら全員俺がぶっ殺す!

特に安藤美姫を殺す!