「旅行け〜ば楽しい〜ホテル〜三日月っ!」
そう、旅は楽しいものなのだ。しかし、旅とは何が楽しいのだろうか。風光明媚な土地を見て回る事か。それとも、様々な料理を食べる事か。それとも、その土地の人々と触れ合うことか。様々あるかもしれないが、私にとってはやはり、宿泊施設、という、概念、その存在そのものが楽しみの根源なのだ。だから最初にホテル三日月のCMのコピーも引用したわけだし。ホテル三日月には泊まったことないけど。グリーングリーンとかは昔結構泊まったことあるんすけどね。どんだけローカルな話じゃ! ホテル及び温泉の宿泊施設の何が魅力的なのか、それは上でも言ったことだが、まずその、外泊、というもの概念がそのひとつである。私は幼少の頃より友人宅に泊まる、といったことなどをしてきた事がない、だから、私にとって外泊は魅力的なのだ。他にも魅力的な点はある。具体的な事を言うと、あのー、言葉で表すのはすんごくむつかしいんすけど。旅館あるでしょ?旅館。温泉旅館ね。で、カウンターで受付して。係りの人にこちらでございます、かなんか言われて、荷物持ちます、って言われて。でも結構飲み物とかお菓子とか、大人はお酒とか持ち込んでるっていう罪悪感から、いや、いいです、とか言っちゃって。エレベーター待ってる間に談笑して。で、7階ついて、まぁ、この7階ってのは仮にですけど。705号室に案内されて、これも仮にだけど。で、でですよ。こっから、こっからが想像力をフルに活用していただきたいところ!はい、ドア開けたー!靴を脱ぐー!左側には風呂トイレがあって前にはまたドアー!そのドアをまた開けるー!そうしたら左奥に向かって10畳の和室が広がっているー!そしてその10畳の和室の奥には障子があるー!はい、それを開けるー!そしたら小さなテーブルがひとつあって椅子がふたつ置いてある、何故か和室より低い位置に作ってある広い窓から景色を眺めることが出来る空間があるぅぅー!そこー!そこですよー!その空間が一番好きなんですよぉぉー!その空間でのんべんだらりとしながらふと時計をみたら夜中の 1 時になっているみたいなのが好きなんですよぉ! なんて言って発狂しかけながら、もう一度「旅行け〜ば楽しい〜ホテル〜三日月っ!」と叫び、小躍りを踊っていたら「何をしているの。」と聞かれたので、こうこうこれこれで旅行の、もとい、宿泊施設の魅力を語っていた、と言ったら。一言「あぁ、広縁のこと?」と言われ、広縁とは何かと問うたら、その小さなテーブルがひとつあって椅子がふたつ置いてある、何故か和室より低い位置に作ってある広い窓から景色を眺めることが出来る空間の事を広縁と言うのだ。というような事を言われ、自分の語彙の少なさに愕然とした私は辞書を開き、とりあえず【広縁】にマーカーを引いた。ちゃんと直線が引けなくて…。
旅先で出会う食事に、おいしいものなんて、ない。 冒頭から何を暴言をとお思いの方もいらっしゃるだろうが、これは私の持論である。 食事をおいしいと感じる源は、経験だ。今まで生きてきた経験。これまで食してきた食事。毎日の繰り返しによって培われてきた、経験がその人のおいしいと感じるかどうかの判断基準になる。 旅先で出会う、経験したことのない食事がおいしいわけがない。ないと言い切るのは、そういった理由からだ。 特に海外、これまでに経験したことのない調味料や調理法に出会う。タイに行ってナンプラーがうけつけなければ、全ての食事に満足することができないだろう。パクチーがダメだと思ったら、それが入っているものはダメだろうし、羊ばっかりの食事に辟易してしまうことも考えられる。実際、私は台湾に行って、八角の匂いにやられてほとんど何も口にすることができなかったし、アメリカでぱさぱさした米、深みのない醤油にうんざりした。旅行中一番おいしかったのは、マクドナルドなどのジャンクフードだったという悲しい結末を持っている。 人間は飢えていたときの記憶が遺伝子の中に残っていて、糖分の高いもの、油分の多いもの、高カロリーのものは無条件でおいしく感じてしまうのだという。マヨネーズをかければ何でも食べられてしまうというのはそのせいらしい。 それらの食事をおししいと考えられなかったのは、「それまで経験がなかった」せい、一言に尽きる。その土地に生まれ、その食事を繰り返してきたなら、どれもおいしいと思えるに違いない。そういう意味で旅先で食事に期待するのは、ナンセンスだと思う。 しかし、唯一旅先でおいしいと思えるのは、それまで経験してきた味と同じ種類で、その味を凌駕するものに出会ったときだ。 食に関して絶大な信頼を置いている旅先がある。それは「北海道」だ。コンビニで売っている牛乳一つの味が違う。牛乳の味は経験したことがあるし、魚介類も経験しているし、調理法もなじみがある。素材がおいしいというのは何物にも変えがたい。 とにかく北海道に行ったら、食べるのだ。食べる以外にない。北海道に降り立ったら、牛乳を飲み、ほっけの干物を食べて、寿司を喰らい、とうもろこしをかじり、カニをほじくる。過去4回上陸を果たしているが、どの旅行も食を満喫した。 そんなわけで、今回の結びとしては、北海道に移住したいという願望の表明と、幼少期の食育が非常に重要だということ。三つ子の魂百までもとはよく言ったもので、それまでにいろんな味を経験させてやれば、その後、その人がおいしいと思える範囲が広がるのだ。
その路線の名前は、「山万ユーカリが丘線」。 ユーカリが丘という街は、千葉県の佐倉市にある新興住宅地で、この街を開発している山万という会社が、街の交通の便を発達させるために建設したのがこのユーカリが丘線です。 この路線に、なぜ当時の僕は心を奪われたかというと、「中学校」やら、「公園」というなんともそっけない駅名の付け方がとても魅力的でした。 いつか乗ってやると思いながら、9年の月日が流れてしまい、ある春の日に、突然思い立ちユーカリが丘に行くことになるのです。
ホームへ着くと、「こあら号」と書かれたかわいらしい車体が目に入ってきました。ローカルっぽさ丸出しのユルい感じの絵が僕の興味をそそります。 中に乗り込むと、かなり圧迫感があり、遊園地のアトラクションのような気分にさせられてなんとなく楽しい感じがしました。 ニュータウンと言えども、緑が広がる街でして、車窓からの景色も上野から1時間ほどで行けるような所とは思えないような感じで、心が洗われるような気分でした。 すこし時間が経ったのちに、ゆっくりと出発していき、ゆっくりと次の駅へ向かい進んでいきました。 次の地区センターという駅に着き、停車時間もさほど長くはないだろうと考えていたのですが、一向に出発する気配が感じられません。 7、8分ほどして、そろそろおかしいだろうと感じてきた頃に、老夫婦とその孫らしき子供たちが、外にいた駅員らしき人に「ありがとうございます」とお礼を言いながら車内に乗り込んできました。乗客のために発車を待っていたのです。 この路線のユルさを象徴するかのように。 都会暮らしにも慣れ、すっかり都会っ子となってしまった僕にとって、この行為があまりにも新鮮で、思わず顔がニヤけてしまいました。
鉄道のみならず、この街自体おもしろいもので、ただのニュータウンなのに駅前にやけにでかいホテルがあったり高層マンションが建っているのに、やけにのどかな風景が広がっていて、近場のオアシスのようなユーカリが丘に、みなさんも一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
みなさんも、一度は体験したことがあるであろう、修学旅行。 今回はそのことについて書こうと思います。 僕の中学のときの修学旅行の行き先は、「思い立ったらすぐに行く都道府県第一位」の京都でした。 「歴史表面張力」とも謳われるくらい歴史が溢れそうな京都なので、学生たちの修学旅行のメッカといってもいいくらいの場所である。 正直、行く前の僕の京都イメージとしては、「八つ橋、大仏、八つ橋、八つ橋、料亭」という八つ橋のフルローテーションでした。
修学旅行当日、行きのバス内はもちろん中学生特有のハイテンションで酔いを乗り切り、その後の見学地でそのテンションを発揮できず、というハイテンションスパイラルに陥りました。 3日目もラスト見学日ハイテンションスパイラルに陥ったため、記憶に残っているのが2日目以降という有様。 2日目は京都府内もしくは奈良県内を自由にタクシーを使って移動し、見学したいところを見学してくる、というもの。 我が班は、京都から出ずに各所を回ろうということになり、タクシー移動を開始。 そのタクシーの運転手と、小泉政権について語りつつ、「国会議事堂の屋根を爆破して進入したらどうなんすかね?」と話しつつ、まずは、二条城に向かいました。 二条城で覚えていることといえば、鴬張りとかなんとかいう、床がキィキィいう仕掛けと、多分学生が落としたであろうシャーペンを拾ったことが、鮮明に残っています。 二条城はそれだけとして、次はおそらく、東本願寺辺りに向かいました。記憶が鮮明でないのは、ハイテンションの残り香です。 東本願寺では寺自体には何ら興味も持たず、ハトのえさ(100円)を撒くことに徹していました。 そこにいるハトは軽く見積もっておよそ300前後。えさを撒くたびに飛び立つハトを見て僕大興奮。(当時14歳) 一袋一気に撒いたりと中々ワイルドさを出しつつ、東本願寺を後にしました。 その後京都タワーなどを回った気がしますが、まったく記憶にあらず。 僕の就学旅行の思い出は、シャーペンとハトに終始した結果となりました。 ここまで書いてきて僕の一番言いたかったことは、二条城で拾ったシャーペン持ってます、ということ。 誰か、取りに来て!